TEXT BY : RANKIN PUMPKIN YOKO
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コーラルガーデン&エンプレスメネン記念イベント 2005 MARCH
T W E L V E T R I B E S O F I S R A E L
EMPRESS VOICES Vol.2 よりのレポート
ナイヤビンギ、 ボボシャンティと共にラスタファリの3大分派として知られるイスラエル12支族は、
預言者と言われる創始者ガド(Vernon Carrington)によって、1968年にジャマイカ(キングストン)で創設された。
第一次創始世代のラスタファリアンからムーブメントがより浸透していった70年代は、
大学で知識を蓄えていた余裕のある中流家庭〜エリート家庭に育った若者達の中にも広がり、
これら第二世代のラスタファリアンたちは、新しい思想や教理を学術的に満たしてくれるProphet GAD の理知的な教えに惹かれ、
当時多数のメンバーを持った。
その名の通り、旧約聖書の創世記に記載されているヤコブ(イスラエル)の12人の息子(注1)を基本にしたガドの教えは、
その12人の息子の各自を月別に分け、さらに、各月ごとに色を持ち、また身体の各部分もそれぞれに分けられている(表参照)。
全世界に散らばり消えてしまった、失われたイスラエルの10部族(注2)は、このProphet Gadの予言的教理によって、全ての人種に関係なく、再び集められた。
メンバーであったボブ・マーリーやデニス・ブラウンの葬儀には彼らの生まれ月(2月)の色である白の聖服に身を包み、
頭にはBannar(旗)と呼ばれる鮮やかな赤・黄金・緑のタム帽をかぶり参列していたメンバー達の姿が見られた。
フレディー・マクレガー、フレッド・ロックス、シスター・キャロル他、総計700人ものラスタファリアン・アーチストをメンバーに持つという。
始めに創設された本部ジャマイカ、そしてエチオピア、アメリカ(N.Y、カリフォルニア)、カナダ、イギリス、スエーデン、
ドイツ、ニュージーランド、トバゴ、ガイアナ、ガーナ、スーダン、ケニヤ、オーストラリア、グレナダ、南アメリカと、世界に17の支部を設けている。
創始者プロフェット・ガドが昨年(2005年3月)に亡くなったものの、全支部に配属された幹部・準幹部メンバーが統率を保っている。
幹部・準幹部メンバーは各生まれ月にしたがった閣僚的な役割を持ち、12人の男性幹部メンバー、12の男性準幹部メンバー、
12人の女性幹部メンバー、12人の女性準幹部メンバーに、ヤコブの一人娘ディナを代表するシスターを含む49人で構成されている。
聖書を基本理念にし、イエス・キリスト崇拝を貫き、セラシエ一世を古代イスラエル王国のダビデ王(注3)の血族として王座に就いた皇帝で、
キリストの生まれ変わり(注4)であるとみなし、セラシエ・アイ以後も、キリストはいつの日かまた生まれ変わり、この世に現れるとして、
古代イスラエルから続く王家の継承者であるセラシエの子孫をもってエチオピアの王権復興に努めている。
基本的に太鼓と聖歌を主体とするビンギしか認めず、かつてレゲエ音楽を「落ちた音楽」とみなしていたナイヤビンギ派やボボ派にくらべ、
12支族派はレゲエ音楽を率先して認め、しばしばメンバーサウンドやメンバーアーチストが出演するレゲエイベントを主催して資金を集め、集会の場としている。
ドレッド・ロックスに関しても、サムソン(士師記13)やナザレ人(民数記6)の契約など、頭髪に関する聖書の記載はあるものの、
強いてロックスにしなければいけないとは書いていないとして、他のラスタファリアンのようにこだわっていない。
食事制限にしても、聖書の記載(創世記9−3)に準じ、肉なども食すが、豚肉、甲殻類は口にしない(レビ記11)。
また人種に関しても寛容であり、特にボボ・シャンティなど黒人優越思想、反白人(反他人種)思想なのに対し、
12支族派は人種の仕切りはない。それはキリストを認める事を全てのフィルターにしているゆえ可能になる。
聖書を一日一章読み、3年半かけて読破する事を義務付けている。
ラスタ宗派の中でも組織の統率力、メンバー数は最大である12 TRIBS OF ISRAEL。
全ての人種を兄弟として受け入れてくれる包容力はまさにUNIVERSAL UNITYを感じる。
Tribes種族名 |
月 |
色 |
身体部位 |
種族機能 |
十二使徒 |
Reubenルベン |
4月 |
銀 |
目 |
強さ |
アンデレ |
Simeonシメオン |
5月 |
金 |
耳 |
信頼・信仰 |
シモン・ペテロ |
Levi レビ |
6月 |
紫 |
鼻 |
意志 |
マタイ |
Judah ユダ |
7月 |
茶 |
口と心臓 |
賞賛・賛美 |
ユダ |
Issacharイサカル |
8月 |
黄 |
手 |
熱意 |
タダイ |
Zebulonゼブルン |
9月 |
ピンク |
胃 |
順序と同情 |
アルファイの子 ヤコブ |
Dan ダン |
10月 |
青 |
背中 |
審判・判断 |
ゼベダイの子ヤコブ |
Gad ガド |
11月 |
赤 |
生殖器 |
力 |
フィリッポ |
Asherアシェル |
12月 |
グレイ |
もも |
理解 |
トマス |
Napthali ナフタリ |
1月 |
緑 |
ひざ |
愛 |
ヨハネ |
Joseph ヨセフ |
2月 |
白 |
ふくらはぎ |
想像力 |
バルトロマイ |
Benjamin |
3月 |
黒 |
足 |
除去 |
熱心党のシモン |
(注1)旧約聖書の創世記に記載されるアダムとイブの子孫ノア、ノアの子孫アブラハム、イサク、そしてヤコブと続くが、
ヤコブは神から選ばれ、イスラエルという名前を頂き、息子達は12の支族として増え、イスラエルの民となる。
(注2)神から選ばれたヤコブ(イスラエルに改名)の12人の息子たちの子孫がそれぞれの名前の部族としてイスラエルの民となって地に増え、
神から授かったそれぞれの土地に12の支族ごとに別れて暮らしていたが、神に背き墜落的なことをやり始めたため、
神の怒りを受け、神は彼らを敵バビロンの手に渡され、彼らはバビロンで囚われの身となり、部族はばらばらに離散し、
捕囚から解かれたときには10の部族が消えてなくなっていた。
(注3)神から選ばれた王としてユダとイスラエルの王国を治めた。神はダビデの信仰心により、彼の子孫を永代にわたって祝福すると約束された。
(注4)キリストはユダヤの王として生まれたと言われていた。聖書に記載されるキリスト自身の家系も
ダビデ王からアブラハムまでたどる事ができる。故、イエスの生まれ変わりも同じ家系の王に生まれる。
3月25日はエチオピアのハイレ・セラシエ・アイ皇帝の王妃メネン皇后の生誕記念日で,
ジャマイカ各地(ナイヤビンギ・センター他)を始め、世界各地にて行事が開かれました。
私が参加した、ジャマイカ、モンテゴベイでも、シスター・アニ-タという、
ナイヤビンギ派のラスタ・エンプレスが主催して、
EMPRESS MENNEN BIRTHDAY CELEBRATION 「THE CREATION OF EVE」と題され、
女性に関する討論会が開かれました。
そこには、いろいろな宗派のラスタファリアン達や、また、ルーツとカルチャーを学ぶ人達や
アフリカニスト(一見普通の感じですが、ガーヴィーの信奉者や、知識人)なども、集まりました。
私のジャマイカのキングマンである、アフリカン・シンボルの紹介で、
私もメインパネラーの一人として参加させてもらうことができました。
女性メイン・パネラーには、アフリカン・ルーツを学んだアフリカン・アメリカンの2人のシスター(女性)と、
レゲエのスーパー・スター、ジミー・クリフのワイフのラス・ロバータ日本人シスターとして私。
男性パネラーには、アフリカのラジオ・ステーションで数年間働いた経験もあり、
ジャマイカでは高い知識を持つ講義で知られるラス・ジュニア・モニンス氏(写真下右)、
シング・ジェイとして、また、歯に衣を着せない討論で圧倒する、フリーダム・ファイター(特にガンジャ)のジェシー・ジェンダー。
ラスタの知識人達が集まり、講義と討論は熱く進行していきました。
写真左下は、エルダー・ラスタのボンゴ・アイヤの演説シーン。
映画クールラニングスやロッカーズに映っていたので、見たことある人いるかも。。。
傷を負ったホース・マウスが、山小屋のラスタマンに治療してもらってた・・・
アダムとイヴの話による悪いイメージを負わされた女性の、男性支配に対する差別を主題に置いた討論会に、
「ボンボ・クラット」は女性軽視の言葉だと、アフリカン・アメリカンのシスターが指摘すると、
ジャマイカン側は「それならマザー・ファッカーはどうなんだ!!」と反撃。
一時は、ボンボ・クラット 対 マザー・ファッカーの討論が燃え上がり、
手が付けられなくなってしまったところ、それにブチ切れたボンゴ・アイザックという長老が、
「わしらはこんな低俗な話を聞きにここに集まったんじゃない!!」と、 ボン・ファイヤーで、一同沈黙。
いろいろなことが論じられましたが、女性は子宮をもつ人として、命を生む重要な役割を持っているということ。
男性と女性のパーフェクトなバランスが何より大切と言うこと等が、主張されました。
私は、日本の太古の女王卑弥呼、初めての女帝推古天皇(このあたりの時代までの神道は、女性支配だった)から、
仏教の女人結界で女性不浄視が行われ、そして現在までを歴史を追って発表しました。
必死で即席勉強したおかげで、拍手喝采と、後で原稿コピーとってくれと頼まれました。
女性ということを再びしっかり学ぶ(日本の歴史も)良い機会に恵まれました。
BLESSED UP AND PRAISES UNTO EMPRESS
MENEN
THE MOTHER OF EARTH、
AND HIS IMPERIAL MAJESTY HILE SELASSIE I
JAH RASTAFARI
( 2004 MARCH )
1963年、キリストがよみがえったとされるクリスチャンの記念日である
4月の第2金曜日GOOD FRIDAY(聖金曜日)に起きた事件をきっかけに、ラスタの歴史に残る惨劇が始まった・・・・。
ラスタたちの間では、この日をBAD FRIDAYと呼んで、毎年、この金曜日には、
事件のおきたモンテゴベイで被害を受けた多くのラスタ達への追悼集会が開かれる。
ナイヤビンギ・ドラム、チャンティング、そして当時のありさまを語る長老達の貴重なスピーチ等など・・・。
それは去る1963年、モンテゴベイのコーラル・ガーデン地区で起きた事件をきっかけに、
政府警察の恐ろしいラスタ狩りが始まったのだった。
モンテゴベイのコーラル・ガーデンという地区に住んでいたあるラスタマンが、
そこの地主の陰険な仕打ちにブチキレてしまい、数人の仲間のラスタと、その地主が経営するガソリンスタンドを襲撃し、
政府当局を打倒しようと試みた。(テロ?!)
初期のラスタは、一般社会から狂人と言われ、警察当局から狙われ、まともな扱いを受けてはいなかったのだ。
すぐに駆けつけた警官隊は、
そのうち5人を撃ち殺したが、2人の警官も犠牲になった。
逃げた残りのラスタも捕らえられ、処刑されたが、それだけでは済まさなかった。
この事件によって、事件とは無関係のジャマイカ全土のラスタが、
政府警察から、「ラスタ狩り」の惨いオペレーションを受けることになった。
当時の政党JLPは反ラスタを掲げるアメリカよりの政党で、当時の総理ブスタマンテは、
警視庁にラスタの根絶を命じたのだった。
警官たちは無実のラスタたちの家に押し入り、こん棒で殴る、蹴るの容赦ない暴行を加え、理由なしに投獄した。
5000人を超えるラスタが投獄され、牢屋は‘満員電車のように‘ぎしぎしになり、
反抗して殴り殺されたラスタも数え切れず、
特に事件の起きたモンテゴベイ周辺のジャマイカ北西部のラスタたちへのオペレーションはひどかったという。
当時の様子を語る長老ボンゴ・アイザック氏は、モンテゴベイからセントエリザベス(車で2時間)の山中に逃げ入ると、
住民たちが、なたや、ロープや、こん棒を持って、追いかけてきたと嘆く。
当時のラスタは、社会から偏見と制圧を受け、町のほうにすむラスタたちは
ドレッドを伸ばすこともできず、多くは髭だけを伸ばしていたらしい。
過去があって現在がある・・・。無実の暴行と死をとげた当時のラスタ達と
多くの苦難を生き抜いてきた長老ラスタたちにリスペクトと、ジャーの永遠の愛がありますように。
JAH BLESS TO ALL RASTAFARI ELDER
EMPRESS MENNEN & CORAL GARDEN MEMORIAL EVENT 2005
毎年4月にモンテゴベイで行われる記念行事のコーラル・ガーデン・メモリアル式典ですが、
2005年は3月の終わりごろのメネン皇后の生誕祝いと合体して、ナイヤビンギ・チャンティングあり、
詩の朗読やスピーチあり、そしてレゲエ・ミュージックあり。
ラスタの人々が、いろんな表現で参加したイベントでありました。
かの伝説的ラスタのチャンティング・ビンギ隊、MISTIC REVERATION OF RASTAFARIも参加。
セラシエ・アイ皇帝に9回も御目通ったことがあるというリーダーのスピーチと、チャンティング。
私もステージに上がり、メッセージチューンを歌ってがんばって表現しました。
アフリカの苦難を歌ったSO MUCH TROUBLE と、反戦の歌、IT‘S LOVE、
MI NO MIX INNA BABYLONの3曲を歌ったけど、やはり、
ラスタたちはIT‘S LOVEの「広島、長崎」という所には、かなり反応する。
日本で思っている以上に唯一の原爆被災の歴史は世界的に認識され、同情され、
重要視されているのだ!
余裕のステージングでエバトン・ブレンダーも出たよ!さすが〜
トニー・レベルもでたけど、この日は彼より、時にはトニーのバックコーラスをやり、時には荒々しいDEE−JAYをかます、
彼のベビー・マザーのクイーン・アイフリカがすっぐぇ〜かった。
何か喋ろうとするトニーをさえぎり、バックの旗の絵に
エンプレス(メネン王妃)の顔が描かれていない事(ホントだ!!)を指摘するなど、
ファヤーを飛ばしまくってました。
強え〜ファイヤー・ウーマンに完全に仕切られているトニーさんを見ました。。。男はつらいよ
こちらのクラウン(帽子=冠)のラスは、このイベントの主催者でシンガーのアイ・クーラ氏です。
日本では知られていませんが、アフリカやヨーロッパで知名度があり、
ジャマイカのラスタ界では高く尊敬されているアーチストです。
勢い良く進行される普通のレゲエ・ショーとはちょいと違い、チャンティングやスピーチがメインの
イベントだったので、ゆんな〜りとした夜長でありました。
BONGO HUE 先生
以下の文書は、「RASTAFARI THE WAY OF LIFE」という、本の中の一部を訳したものです。
ブッシュ・ドクター(薬草医)のボンゴ・ヒュー(ラス・ヒュー・アイ)先生は、ジャマイカ、モンテゴベイの町はずれに診療所を開いています。
もともと西洋医学を学び、以前は外科手術も行っていたヒュー先生は、人間の体の構造を根本から熟知し、高い知識を持った
ブッシュ・ドクターとして、ジャマイカはもとより、海外からも高く認められています。
ボンゴ・ヒュー先生(写真中央)
ラス・ヒュー・アイ(ブッシュ・ドクター)
一見して、ヒュー・アイは小柄だが、強屈だ。たとえ干上がるようなジャマイカの太陽の熱のなかでさえエネルギーの塊にも見える。
彼の冠の様な太く長いドレッド・ロックスは、彼の輪郭に影を付ける―――。
(以下、ヒュー・アイ)
「我が父(神)ジャー・ラスタファアイは、純正哲学者である。
我が父は再びその務めを行い、それを自分に与えた。
それは何故なら、自分は地球が創造されたように与えられ、自分は全ての薬効成分は、
我が父が木々や植物の中に備えたものと知る。
悩み、痛み、苦しみ、必要になる時、自分は人々に木々からの治療をほどこす。
それは、自分がそれらに含まれる薬効成分の違いを知っているからである。
そして、自分はさまざまな異なったタイプの怪物たちが、この社会を疫病にかからせている事も知っている。
それに対してその社会はこれらの怪物たちを逮捕する為の警官隊すら見つけ出せずにいる。
私は貴方を、ラス・タファリ・セラシエ・アイ(注)の偉大なる力を有する木々から求め得る事が出来る。
我々は、それぞれ基礎から通じている――ジャー(全能の神)。
私を慕う人々は私の事を良く知っている。世界中どこへ行こうとも、私を慕う人々は私を覚えていて、私に従う。
指導者がいて、富はあるが、安らぎを与える者はいない。
誰でもない、ただラスタのみが人に安らぎを与える事が出来るのだ。
そして、それが愛であり、協力や団結は、安らぎを与えるものとその共同体の中にある。
私は、私に従う人々にとって、その安らぎを与える者なのだ。
なぜなら私は父であり、私は我が人々が苦しんでいたり病にかかっている時、それを見て取り、
また、ある種の病気が彼らを襲う時、何をするべきかを知っている。
それは、私の子供達に対する責任である。
それは、バビロン(汚染された現代社会とそのシステム)の責務ではなく、私にある。
あなた達が父のことを言う時、それは私の事を言っている。
わたしはセラシエ・アイの中に存在し、セラシエ・アイはわたしの中に存在する。
私が行う事、それは自分自身のものでは一切無い。
しかし、ラス・タファアイがその御業を私を通して現されたのだ。
だから私は偉大なる支配権と力、栄誉と権威を備えている。
しかし、私は自身の思慮深さを用い、それを自分の為にではなく、我が父へ、そして制圧されている国民のために使う。
だから、私に従う人々は私を愛する。それは私が彼らの苦しみを癒すからなのだ」
注)1892年7月23日、エチオピア王族にで大変美しい男子が生まれた。幼名タファリ・マコーネン。
聖書の歴史中に登場するイスラエル(神に聖別された民ユダヤ)のソロモン王と、
シェバ(エチオピア)の女王の末裔である(聖書、列王記上10:1−13)。
16才の時、“ラス”という称号を得て、その名をラス・タファアイとする。
1930年“王の中の王、君主の中の君主、ユダ族(聖書の中のユダヤの民の中で、
最も祝福された種族)の勝利のライオン”という名の下に、323代目のエチオピアの(最後の)皇帝となり、ハイレ・セラシエと名乗る。
アイタル・フード
ラスタは言う。「人は、食べ物に無意識であってはいけない。人は土から育つものを食べるべきである。
農食。生物の死んだ肉ではなく、全て生あるものは大地から育つのだ。」
「農食」 ― それは、地球から育つ食べ物― それがアイタル― 完全な自然の食べ物。
それらは削られたり、混ぜ物や加工による汚染や変性など全くされていない。
医師、ラス・ヒューアイの治療は、基本的に人体が取り入れるものの中で、
何を取り入れると健康な過程で機能が働くかを考える。
要なものを除き、与えなければならないものは全て与える。
人間の体は自然の驚異的な創造のひとつであり、それは神の神聖さに反映する。
ジャー(創造神)のイメージで創られたのであるから、大事に扱わなければならない。
ラスタは人が行なう事全てそれ自身、人の一部に反映すると信じる。
ジャーが初めて人を創られた時 、
神は全てのハーブは種をつけ、木は実を結び、それが彼らの肉となる様に明示された。
正統派のラスタはこの命令を守り、
下劣な生き物や死肉によって人のシステムが神聖さを汚す事になるのを拒むのだ。
唯ー、生あるものだけが命を与えることができるのだ。
「人はその胃の中を墓場にしてはいけない。」とラスタは語る。
肉、鶏肉、卵、魚の死肉は腹の中を墓場にする。
自然の生きたメカニズム、人間の体には生きたものだけを摂取する。
ラスタはまた缶詰めも死んだ埋葬されたものとする。
何人かのラスタは、食器を使わず手で食べる。これらはアフリカから由来される。
エチオピア大陸(アフリカ大陸は昔はエチオピアと呼ばれていた)では、指を使って食事をした。
ラスタはまた、水道水を飲むのを嫌う。
多くのラスタは街からずっと離れた、水道の供給されていない場所に住んでいて、
雨水をドラ缶に溜めて使う。洗濯は川、または池でする。
アイタル・フードの基本的メニューは、ライス&ピース(豆ご飯)である。
まず、ココナッツをすりおろして、香り高いココナッツ・ミルクを作り、それに自然米を入れて炊く。
そこに赤豆、トマト、玉葱、ペッパー(唐辛子)等の野菜を入れる。
全ては、火にかけた大鍋ひとつに入れて蒸す。
フルーツと野菜はジャマイカ原産のもので、アイタル・ダイエットに欠かせない。
パパイヤ、オレンジ、ココナッツ、バナナ、ブレッド・フルーツ、ジンジャー、スイカ、
プランテーン、スター・アップル、マンゴ、パイナップル、アキー、カラルー、チョーチョー等を、
ラスタの方法で料理されたり、生で食べたりする。
オレンジの皮の剥き方にも、コツがあり、果汁や果肉一片もこぼさない。
これらのアイタル・ダイエットに従う人達は皆、その命の長寿と健康に保険を掛ける事である。
ラス・ヒューアイは、このアイタル・ダイエットを実行すれば、癌から身を守る事ができると主張する。
彼の説明によると、細胞が「変性」させられるのは、何か不自然な、
または自然に反するものにさらされたり、摂取したりする時に起こる。
彼は一瞬黙って身動きせず、そして謎めいたように、「癌を治す方法を知っている。」と語った。
「今日では、文明が脅かすものは戦争よりも大きい。その驚異の名は、栄養不良である。
私達は食べ過ぎであり、それらの食べ物の殆どが私達の体のシステムの毒素となっている。
私達の食べる物の内の半分が私達の命の糧となり、残りの半分は内科医の生きる糧となっている。」
その医者とは、経済や政治と、アイタル食を混ぜ合わせて一つにしてしまう。
一度全ての不自然な成分、添加物や保存料が食事療法から取り除かれたら、その人の生活は変わっていく。
添加物を消費するのを止めた人達は、恐らく気分が良くなり、その様なものにお金を使わなくてすむ。
添加物の入った製品を買うこともなくなるので、添加物を生産している人々からは筋合違いだろうが、
幾らかのお金と、幾らかの力の所有主が変わる。
人々の儲けの比率が変わる。このように、アイタル・フードによって簡単に、道徳的正義が増加するだろう。
ラスタが言うように、事は全て、真実を見つめることによって、理解に満たされる。
医師ヒュー・アイによれば、人体を正しく養うには、その構造について良く熟知する必要がある。
「体内には60%以上の水分があり、多くの異なった量のミネラル成分を含む。」
「普通の人体の構成要素には、水素、リン、塩素、カルシウム、窒素、フローリン、カリウム、ケイ素、
鉄分、ヨウ素、マンガン等がある。」
「繊維素は、フルーツや野菜の骨組みで、腸に吸収されずに残って腸の働きを促進するバルクを供給する。
それは、正常な腸のぜん動運動と、 内臓を活気付ける手助けをする。」
「脂肪はエネルギーを供給し、大変濃縮された構成要素で、燃糧食である。」
「ミネラル素は、肉体を組み立て、体の自然作用の調節を助ける。ミネラル塩は血液づくりや、組織形成に欠かせない。」
「プロテインは、エネルギーを供給し、酸素、水素、窒素、硫黄、リンと、多くの鉄分を含む。」
「水は、肉体の形成原料の供給と、体の自然作用の調整。
体内の全ての流動体や、分泌物の主要部分を形成し、体自身の体温調整を可能にする。」
「人体が必要とする全ての基本的成分とは、
その調理法において破壊されない限り自然食の中に豊富に満たされている。
全ての命は内部から供給され食物の中の生きた有機ミネラルによって補給される。
薬局で入手する有機的組織を欠いた科学薬物には、生命など無い。
ある一時的期間、刺激させ、活気づけるが、それらは健康や命など与えたりしない。
自然の薬とは、特に浄化、洗浄処置のため必要とされる。
水、レモン、トマト、生のパイナップル、ライム、ピーチ、グレープフルーツ、
オレンジ等のジューシーなフルーツ全てである。」
ある種のミネラルや成分の不足は、単に過剰と同一であると、ヒュー・アイは以下に説明する。
カリウム:便秘と循環器の弱さはカリウムの不足を意味する。
カリウム食は、常に、 婦人病に多く用いられる。
葉の多い野菜、ウォーター・クレソン、パセリ、トウチシャ、トマト、からし菜、
てん菜の根、ほうれん草、すいか等はカリウムの源である。
ナトリウムは、大変溶解力がある。リュウマチ、動脈硬化、腎臓結石、胆石、関節の硬化、
酸性症、糖尿病などの症例に、大量摂取を心がける。
ほうれん草、オクラ、きゅうり、ニンジン、セロリ、てん菜の根、りんご、いちご等が、ナトリウムの源である。
有機質の鉄分は大変重要である。老廃物を取り除き、血流を清めるのを大いに助ける。
無機質の鉄分は、腎臓への刺激物となるので摂取すべきでない。
赤または白キャベツ、ほうれん草、レタスの根の部分、生の人参、チェリー、いちご、
干しぶどう、玉葱は有機鉄分の源である。
硫黄は、特に血液の病、また、皮膚の病、発疹、吹き出物、リュウマチ等を除くのに必要とされる。
食物が含んでいる、硫黄が、それらの排泄を助ける。肝臓を刺激し、胆汁を流すのを促進する。
キャベツ、アスパラガス、生のセロリ、カリフラワー、玉葱、大根は硫黄を供給する。
塩素は、毒素を大いに撲滅する。膿漏、壊疽等は常に塩素の不足を示すものである。
塩素の食べ物は、腸を奇麗清潔に保つ働きを大いに助ける。
生の白いキャベツ、ほうれん草、大根、新鮮なアスパラガス、パースニップ(アメリカぼうふう)、
皮付きのきゅうり、生のニンジン、ウォーター・クレソン、レタス、玉葱、かぶ等は、塩素の食べ物である。
マグネシウムは自然の便通を促進する。
マグネシウムを含む食品は特に自家中毒、便秘、関節硬化(カチカチと音がする)等で苦しむ人々に有益である。
りんご、ポテト、大麦、いんげん、キャベツ、ココナッツ、オートミール、オレンジ、プラム、玄米、
ウォーター・クレソン等はマグネシウムを豊富に含む。
これらの成分と、慢性病と、その療法は、純然たる見地でヒュー・アイが記述した、
根本主義者の医学的見解である。
確かに、ラスタファリアンは、アイタルダイエットを健康へ通じる道と感じている。
病状や問題が、アイタルフードに及ぶ範囲を超える原因になる時、数千種の薬草治療法が用いられる。
ガンジャ(大麻)は、薬草の内の一つとされ、その良質のリラグゼーション作用は有益で、
しばしばお茶や、まれに料理の中に入れる。
ガンジャは、また、神聖な薬草であり、ヒュー・アイはその、治癒力を明記するより、
困惑させるような沈黙に退いた。
ラスタファリアンたちは、全能神の拡張された現れとして、彼らの神聖な治療法に基づき、
その身体の健康を気遣うように、絶え間ない働きかけを義務づけられる。
アイタル・フードの意味する健康な命とは、
強い酒や、ビール、ワインや純度の高いスピリッツなどを断つ事も含まれる。
もしラスタの流儀が通ったなら、この酒が支配する世界はまったく消え失せるだろう。
ラスタは酒に酔うのが楽しいという感覚を抱かない。
アルコールでなくガンジャがラスタを心地よい気分にさせる。
「千鳥足でよろめく酔っ払い」とラスタは大いにあざける。
ラスタが飲む唯一酒に似た醸造の飲み物とは、“ルーツ”と呼ばれる。
ラスタは数多くのレシピーをもとにルーツをつくる。
それは手作りのもので、数種の草木(薬草)の根を醗酵させている。
アルコールと肉類を無くす事は、アイタル・ダイエットの二つの鍵である。
選択は一つ。真のラスタはアイタル・ダイエットを選ぶ。
もしも貴方が永遠の生命に到達する時、貴方は神のように食べなければならない。
命はずっと続くのだから。
「RASTAFARI THE WAY OF LIFE」より
マーカス・ガーベイ
「RASTAFARI THE WAY OF LIFE」よりの訳
1887年、ジャマイカのセント・アンズベイにて貧しい11人兄弟の末っ子として生まれる。
「幼少の頃、私はその他多くの黒人たちのように白人の男の子や女の子達と一緒に学校に通っていた。
その頃私たちはニグロと呼ばれてはいなかった。私は自分が14歳になるまで、ニグロという言葉を一度も聞いた事がなかった。
そして私は初めてそこには異なった人間性と、違う人種と、それぞれ別個の社会生活と区別があると気がついた。
そう言われるようになってから、私はその分け隔てに関して何も気にしなかったし、また、まったく悔やむ気持ちもなかった。」
ジャマイカ最初の黒人の自由戦士マルーンの血を受け継ぐガーベイは、自分の純血の黒人の血を誇らしく思うと言っていた。
ガーベイの家族は貧しさゆえに、彼をキングストンへ印刷工の見習いとして年季奉公に出した。
そこで多くの本を読み、ガーベイの考え方はキングストンで急速に展開した。
1907年、印刷工場で大規模のストライキが起こり、彼もまた広い世界を見て、
他国の黒人たちの実生活を知りたく、旅に出る事を決意した。
コスタリカを始めとして、ガーベイは働きながらカリブ諸国とラテンアメリカを旅してまわった。
そうやって各国の労働者たちと連絡をとるうちに、彼の世界観は、特に黒人たちの制圧に関しての問題について築かれていった。
1912年、ガーベイはロンドンへ渡り、(そこで彼はカレッジに入ったと言われている)ドゥース・モハメッド・アリという
アフリカ系エジプト人学者と連絡をとり、アフリカン・カルチャーと文明世界についの興味に目覚めた。
終始ガーベイはブーカ・T・ワシントンの「UP FROM SLAVERY(奴隷から起き上がれ)」を読み、それは彼に深く影響を与えた。
1914年ガーベイはジャマイカに戻り、“THE UNIVERSAL NEGRO IMPROVEMENT”
(国際的黒人進歩)と、“CONSERVATION ASSOCITION”(保護協会)、また“AFRICAN
COMMUNITY LEAGUE”(アフリカ人共同連盟)を創設し、
ジャマイカの黒人たちに教育と産業の大学を設立する事を目標としていた。
その思想は、ジャマイカの白人政権組織からの建設的な反響を呼び、黒人の一般庶民の無関心と、
ムラートと呼ばれる白人と黒人の混血クラスの人々の反対派が敵対した。
1915年、先のブーカー・T・ワシントンからの援助と案内によって、
ガーベイはアメリカで彼と面会する運びになっていたが、
結局それは同年ブーカーの死によって果たす事ができなかった。
しかし翌年、ガーベイはアメリカを訪れ31州を旅してまわり、
最後に彼の活動のベースとして選んだニューヨークのハーレムを訪れた。
1917年ガーベイは、UNIA(the Universal Negro Improvement Association 国際黒人進歩連合)を設立。
10年間で2千万人のメンバーの獲得、それをもとに彼はインターナショナル週刊新聞“Negro World(黒人世界)”を刊行した。
通商と貿易を目的とした船会社が創設したブラック・スターラインは、アフリカに帰る黒人たちの輸送機関であり、
黒人による製造工場、そして数えきれぬ数の子会社と、投機的事業家たちを関与させた。
ガーベイの選択はその時期的にも、場所的にも賢いものだった。
ハーレムは単に黒人カルチャーの中心ではなく、黒人の知識階級、文学者や、画家たちの集う場所であり、
さらには、南部からやって来たばかりの無数の黒人移民たちの新しい住家となっていた。
黒人の獲得したばかりの正当な権利を制圧する市民戦争が終わった1915年、
米国南部で結成した秘密結社クー・クルックス・クラン(KKK)は、アメリカ的精神というのを目的として再生した。
黒人たちの期待の土地である北部への流出が増大し、特に就職、交通機関、住居に関しての
黒人の同等化を妨げる為の白人による差別的な悪習、黒人差別主義も拡大していった。
黒人たちも戦闘的にならざるをえず、それは1919年に起こった「レッド・サマー」と呼ばれる市民間の人種戦争によって学ばされた。
第一次世界大戦の武装兵として兵役についていた40万人の黒人たちが帰国したが、
彼らを待ち受けていたものは差別とそれに伴う失望だったのだ。
マーカス・ガーベイがアメリカに到着した時、その「黒人復活運動」は頂点に達していた。
彼の教義である“アフリカはアフリカ人のもの”は黒人のインテリ層に完全否定を受けた。
とりわけ学者W.E.B.デュボスは、クライシス・マガジンにこう書きあげた。
「マーカス・ガーベイは世界、そしてアメリカ中の黒人種の最も恐ろしい敵である事に疑いない。
彼は裏切り者の狂人である」
圧倒的に多い薄い肌の色をした黒人系の知識層には、ガーベイの叫ぶアフリカへの再移住は全く理解する事ができなかった。
それは、クー・クルークス・クランの、アメリカにはアメリカ人だけを残して、
黒人は皆アメリカに返す事への支援と相互間系を持ち、恐れられた。
黒人インテリ層が反対する中、ガーベイは黒人大衆の中でパワフルな指導者としての役割へと踏み入み、
今までアメリカで一度も平等な扱いを受けた事のない人々は、彼の支持者として引き付けられた。
黒人インテリ層のアプローチは、黒人大衆を動かす事ができなかったが、
ガーベイは直接大衆に、欲求、不満、そして希望を語りかけた。
「世界の政治的再調整の意味はこうである。―――全ての人種は故国を持つべきである。
それがゆえ、パレスチナ人のユダヤ人に対する嘆きは大きい――――
アイルランドはアイルランド人のため――――インドはインド人のために。
そして同じく黒人種は海外でもアフリカ国内でも「アフリカはアフリカ人のもの」と言う叫びを上げるのだ。
それは自然にかなった政治的再調整を叫ぶものであり、この再調整は、1914から1918年の戦いから生じたものである。
私たちネグロ(黒人種)は、こう悟る。世界の政治が私たち黒人種の事を考慮せずに調整され、
もし私達がそれを受け入れたなら、私たち黒人種は、その後の数十年間を見逃す事になる。」(ガーベイの発言)
ガーベイの指導者としての力は、カリブ諸国とアメリカの黒人たちの状況下で共同して働く、
少なからずの勢力部隊によって進展していった。
彼は、ジャマイカの肌の色の階級制度の中での下級階層者の増大と現存する貧困の圧力を経験した。
また、彼の黒人種に対する知識への飽く事を知らない好奇心は、その驚くべき個人活動の力と支配に劣らず相当なものだった。
燃えるように熱い宣教師にも似た演説家ガーベイは、公の人物として初めて西インド諸島と、
北部と南部のアメリカと、アフリカ間の黒人たちの関連性を取り上げた。彼の哲学の基本的原理は、黒人種の個人救済と、
その人種がアフリカ大陸に回帰し、その太古の栄光を復元させる事にあった。
ガーベイは、種族の純潔性、世界の無秩序、人間の兄弟愛、不正な犯罪、指導者の犠牲、
そして黒人問題においての真実の解決法等を対象にした、
黒人たちへの訓戒を、常に聖書を参考文献とし引用した。
“エチオピアよ、目覚めよ!アフリカよ、目覚めよ!さあ、罪から救われた、輝かしい自由で力強い国家を迎える目的に向かって共に働こう。
さあ、アフリカが、全国家の中で、輝ける星になるように。”
“記憶せよ。アフリカの起源から長く渡り、いつの日か神とその聖なる万軍は、エジプトから王子をもたらし、エチオピアはその手を伸ばすだろう。”
ガーベイとラスタファリアンとのきわめて重大な関係は、彼の予言によって現れた。
「アフリカへ目を向けよ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い。」
この言葉は、その後の1930年に、ラス・タファリがエチオピアの皇帝として即位し、
ハイレ・セラシエという名を受けた事により実現し、予言として受入られた。
「私たち黒人種は、エチオピアの神を信じている。永遠の神―父と、子と、精霊の神。全ての時代における神。
それが、私たちの信じる神である。だが、私たち(黒人種)は、その神をエチオピアを視点として崇拝する。」
1920年代、マーカス・ガーベイは、
“ONE GOD、ONE AIM、ONE DESTINY(唯一の神、唯一の志、唯一の宿命)をスローガンに、
歴史上最大級の組織団体パン・アフリカンを編成するパワーに恵まれた。
ガーベイの没落と、UNIAとその子会社達の終局的崩壊は、彼の活動の力が組織を通してでなく、
彼の個人的本意の試みで注がれた事にある。彼は、有能で信頼できる人々を取り巻きにする事に失敗し、
その失敗はその上指導し、組織することもできなくなっていた。
ガーベイは、売り上げの記録もつけず、頭の記憶だけを頼りに株を売っていた。
1922年、彼とUNIAの3人の役員が郵便物不正行為で逮捕された。
米国政府はUNIAの混乱した財政状態に跳びかかり、ガーベイの地位は事実上、弁解の余地の無いものになった。
1923年、ガーベイは裁判で罪を宣告され、牢屋に送られたが、未決控訴のため解き放たれたが、
彼の上告が却下され、アトランタの刑務所に投獄された。
彼はアトランタ刑務所から、UNIAへメッセージを送り、支持者達を安心させようと努めた。
“我らは一歩一歩、アフリカの神の確信に帰する道を獲得している。
我らの神は、雷鳴のような声を発し、腐敗した不条理な世界の中核の柱を揺すぶるだろう。
そして再び、エチオピア太古の栄光を復興させるだろう。”
1927年12月、大統領カルビン・クーリッジは、ガーベイの宣告を減刑した。伝えられる所では、
1924年の大統領選挙でのUNIAのサポートへのお返しとされている。
ジャマイカに強制送還されたガーベイは再び組合を組織し、
西インド(カリブ)諸島と、メキシコ南部からコロンビア北部の中央アメリカを旅して回り、
UNIAの幾多の司令局を訪ね、砕けてしまったその活動を支えようと試みた。
1928年、彼がロンドンに渡航した時の空に等しい状態のアルバート・ホールでの演説会は、
ガーベイのパワーの失脚を明瞭にさせた。ガーベイはジャマイカに戻り、組織再編成を試みるが、
1935年、彼は最終的にその本部をロンドンに移し、1940年そこで息を引き取る。
ガーベイは生前、予期的にこう言っていた。
「リーダーシップとはすべて、痛みと、犠牲と、死を意味する。」
全身アイタル!!木の皮ファッションのRAS
CHANGA CHANGA
自分の名前、木の皮を糸にして刺繍してる!!
原初の時代を思わせる、気合の入った手製の木の皮ファッションで全身を包んだラスタマン、
CHANGA CHANGA。
身につけるものは全て、自然のものから。
料理は火を使わない生食(これは時々実践しているRAS達がいるようですが)。
また、お金は汚れているからと言って、お金を扱うときは、手に覆いをかぶせて、
直接お金が肌に触れないようにしているらしい。
BEENIE MANのCHAKA CHAKA DANCE は、彼のオリジナルダンス・スタイルだった!
彼は何やら2年前、TVのスター誕生歌コンテストに出場し、
そのダンスを披露したのがCHAKA DANCEのきっかけとなったらしい。
歌コンの結果は、残念だったが、たいそう話題になったそうな。
今でも、山中にこもって、人里には一切下りてこない、CHANGAみたいな格好をした
原始生活を送っているラスタ人たちがいるそうな。
そのようなRASTA人は、下界とのコミュニケーションを一切絶っているという。
CHANGAは原始スタイルの生活を街中で実践しているYOUNG RASTAなのだ。
昔々(4〜50年以上前)、原初のラスタ人達が皆、山奥の洞窟に住んでいた頃。
彼らは時折、下界に何人かのグループで降りて来ていたそうな。
彼らが、「ハ〜イ、ハ〜イ、RASTAFA 〜I」と、大きな声で合唱しながら歩いて人里に下りてくると、
その声を聞いた人々は、家の中に隠れて、ラスタ人が通り過ぎるのを待ったと言う。
人々は、そんなラスタ人を、悪い心を持つ者として恐れ、子供をさらっていくと信じていたそうな。。。。