『ジャマイカで超人気有名人になった日本人レゲエ歌手』
ランキン・パンプキン
RANKIN PUMPKIN
勝ち抜きコンペティション「マグナム・キング&クイーンMagnum Kings & Queens of Dancehall」。
ジャマイカ全土から集まった千人近い応募者から男女各14名ずつ計28名に絞られる
倍率の高いオーディションに合格し、2017年2月から始まった本戦のテレビ放送出演以降、
3ヶ月半の番組期間中、ジャマイカ中に衝撃を与え話題を呼び、ファイナルまで勝ち進み、
準優勝を果たした唯一無二の日本人の女性レゲエ歌手Rankin Pumpkinランキン・パンプキン。
番組では3ヶ月半の間、毎週のようにテレビに登場し、ジャマイカのお茶の間を騒がせ、
国中の話題をさらう社会現象を巻き起こし、その動向を新聞、テレビのメディアがこぞって報道した。
ジャマイカ中が湧き、アメリカ、カナダ、イギリスなど世界各地のジャマイカ移民のコミュニティーにも
話題が飛び火し、世界中のジャマイカ人がランキン・パンプキンに注目した。
ジャマイカの人々は「ランキン・パンプキンはスーパースターだ!」と叫び、
東洋人を見かけると男女問わず「ランキンパンプキンか?!」と声をかけるほど熱狂した。
街を歩くと多くの人々に声をかけられ、写真をせがまれ、人だかりができるほどの大人気。
小さな子供からお年寄りに至るまで、田舎の奥地に行っても人気者の有名芸能人となった。
それはまさにジャマイカ始まって以来の歴史だった。
女性レゲエ歌手のランキン・パンプキンこと松井葉子は兵庫県神戸市出身。
レゲエがまだ日本でポピュラーでなかった90年代の初めに
ダンスホールレゲエバンドCha Cha Crewのボーカリストとして活動。
その後本格的なスキルを磨くためソロ活動に移行。
92年に初めてのジャマイカ旅行を経験後、ジャマイカの文化やバイブスを学ぶため、
90年代中頃ジャマイカに移住。その後、英語を学ぶため3年間ニューヨークに移住。
2002年に帰国後、半年周期で日本とジャマイカで暮らす生活を続けている。
ジャマイカでは、パートナーのアフリカン・シンボルと出会い、African Symbolレーベルから、
パトワ英語と日本語の数々の曲をリリース。
また、日本では自身のTrinity Muzikレーベルなどから日本語の曲をリリースし、
2国間で活動を続けジャマイカと日本での長い音楽生活を経たベテランのレゲエアーティストである。
ジャマイカに初めて旅行した時、英語がほとんど話せず、
いつかジャマイカで歌える日を夢みながらパトワ英語の歌を書いた。
日本からジャマイカに数年間拠点を移し、
プロデューサー兼パートナーのアフリカン・シンボルの指導とコネクションのもと、
ジャマイカで歌うチャンスを得て地道な活動を続けながら「ジャマイカの国中の人に名前を知ってもらいたい」
という夢を叶えるため何年も思い悩んだ末、思い切って
2014年テレビの歌番組のオーディションに応募することを決意。
当たって砕けろの精神でオーディションに挑んだが、厳しい1次審査で何度も落選。
歌番組といってもハードコアなディージェイ(韻を踏んだ言葉遊びで歌詞を作る)スタイルで、
現地のパトワ語や英語のネイティブでない日本人には高すぎるハードルだった。
その後あきらめず挑戦し2017年度に合格、ついに念願叶い本戦のテレビ出演を果たした。
本番では、実力を試される多くの困難に遭遇。生放送の緊張と、様々な機材の問題に加え、
発音が聞き取りにくいという欠点を指摘され何度も自信を失いかけたが、口ずさみ覚えやすいメロディーと、
どんなテンポのリズムでも乗りこなすリズム感の良さが強い武器となった。
勝敗は電話投票で決まるため、出場者は毎週、街に出て各地で投票を促すキャンペーンを行い、
カンパ金を集めてテレカを購入し自ら投票をしていく傍ら、
毎週新曲を生本番で披露するための曲準備とリハーサルで時間に追われた。
SNSを使い、日本へカンパを募り友人や知人から送られたカンパ金が大きな助けとなった。
出演期間10週間の間、外国人の参加を拒否している審査員のSkattaスキャタが苦い表情で嫌味なコメントを放ち、
その反論を歌の中で言い返すという、審査員vsコンテスト出場者という異例の構図が繰り広げられた。
中盤戦では、一度落選したが、低投票者2名が生き残りをかけたタイマンクラッシュを行い、
勝者が本戦に復活できる番組ルールで勝利し奇跡的に本戦に戻った。
タイマンの相手は奇しくもスキャタお気に入りの強敵だった。
後半戦はスキャタが落選者発表のシーンではっきり「落ちてほしい」と
ジャマイカ版の祈祷師オーベアマンを真似て落ちろと祈願する演出や、
魔術の蠟燭に火をつけて足元に置く演出を行ったり、
「もしファイナルに残ったら番組を降板する」と衝撃発言をしたが、
そんな事とは裏腹に毎回落選をまぬがれスキャタをやり負かす様は、
胸のすくコメディーのような台本のないドラマで、さらに幅広い視聴者を集め沸騰し、ついにファイナルを迎えた。
ファイナルが近づくにつれ、ネイティブでない日本人が数多くのジャマイカ人を破って勝ち進んでいく様に
多くのジャマイカ人は熱狂したが、その傍ら、波紋も呼んでいた。もしランキン・パンプキンが優勝したら
ジャマイカの音楽業界の恥と考える一部の反対派がSNSにネガティブな発言を投稿。
ファイナル当日、会場は異常なまでの興奮で沸きかえっていたが、本人は大きすぎる重圧にナーバスになっていた。
投票キャンペーンに時間を取られ、ファイナルのタイマンクラッシュに備え歌詞を作って覚える準備期間が全く足りず
練習不十分で大きな不安を抱えていたのに加え、ネガティブな意見の投稿を見聞きし、不安定な精神状態でいた。
会場のキングストンは対戦相手の出身地区で、その応援団が大半を占めていたため、
観客が自分を批判している錯覚に陥り、タイマンクラッシュは惨敗し、結果は準優勝。
スキャタは、番組降板をまぬがれ、受賞シーンの後、ランキン・パンプキンをステージに呼び出し、
日本人に敬意を示すスピーチで番組のフィナーレを締めくくった。
番組終了2日後、Face Bookに投稿した差別を受けたと綴った手紙が大きな火種となり、瞬く間に拡散され、
新聞やテレビ番組に大きく報道され、日本人がジャマイカ人のコンテストに出た事は受け入れがたい行為か否かや、
差別云々をテーマにしたフォーラムがラジオやYoutubeのメディアにいくつも上がり、
否定派と肯定派が激しく対立し激論が交わされた。
そんな大騒動も沈下し、多くのジャマイカ人はこう語る。
「あなたの為にみんながたくさん投票したわ!皆があなたの勝利を信じていたのよ!
投票数ではあなたは勝っていた。でもあなたが日本人だったから彼らはあなたから優勝を奪ったのよ。
真実の優勝者はあなたなの。あなたが本当のクイーンなのよ」。
勝敗の真実は闇に包まれたままだが、ただひとつ明らかなことは、
このコンペティションでRankin Pumpkinがジャマイカの話題を総なめしたという事だった。
番組終了後はフェスやイベント、メディアに出演しジャマイカ話題のアーティストとして活動中。
ジャマイカの人々を熱狂させ、超有名人になった日本人レゲエ歌手
Rankin Pumpkin ランキン・パンプキンは、
テレビ・メディア取材依頼、音楽プロダクション、レコード会社からの契約依頼、
また、イベント出演依頼、ダブプレート依頼、作詞作曲依頼、
ジャマイカガイド、通訳、翻訳依頼など、幅広く受け付けています。
お問い合わせ・連絡は
rankinpumpkin@yahoo.com
africansymbol@hotmail.co.jp